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齋藤健一の人生応援ブログ💙

私の仕事歴⑩

 で、前述したブラック企業の後に、とある手術を二連続で受けて、それで、その後、また仕事を開始することにしました。なぜなら、手術等で金を使い果たして、もう金が無一文になったから。

 

 で、たしかハローワークで検索していました。あのパソコンで。それで、海岸清掃の仕事を見つけました。期間雇用のです。期間は、まあ、たしか七か月位だったかなあ。で、応募しました。これなら、そんなにキツくもないだろうし、馬鹿でも出来る肉体労働だろうからと、応募しました。

 

 で、やっぱりスーツ着ていきました。で、何とか受かりました。まあ、神奈川海岸美化財団という、神奈川県の沿岸部の海岸清掃を請け負う財団が雇う形の期間雇用のバイトみたいなものです。

 

 まあ、ボーナスはありませんし、退職金とかもありません。ただ、有給は、たしか六か月経過後に発生しました。あと厚生年金も入って、あと健康保険も加入したような気がします。

 

 で、仕事を開始しました。まあ、俺は一番年少で、三十代の人とか、四十代の人とか、五十代の人とか、六十代の人とかいました。まあ、この時、私は、たしか29歳でした。

 

 で、まあ、みんな様々な理由からですね。失業中の人もいれば、退職後の暇を持て余して応募したような人もいました。まあ、金も欲しかったのでしょうが。それで、三班に分かれて、一班十人体制で活動しました。たしか週に五日で、日当は一番下の作業員は一万円だったと思う。で、トラック運転手は二名で、その人達は11000円かな。で、班長が一班に二名いて、その人達は、たしか13000円だったと思います。

 で、まあ、他の班は三浦半島だっけか、なんか横須賀とか、あっちの方を担当して、私らの班ともう一つの班は、湘南地域とか鎌倉とか小田原とか湯河原とかの海岸清掃を請け負いました。で、私らの班(たしかB班)と、もう一つの班(たしかC班)は、別々の箇所を清掃することもあれば、合同で片付ける時もありました。

 

 まあ、仕事内容は、青いベストを装着して、まあ、海沿いの県の人で頻繁に海に行く人なら理解できると思いますが、湘南地域とかは、木の枝がとにかく大量に海岸とか砂浜に漂着するのです。あとプラスチックごみとかも。それらの清掃ですね。

 

 しゃがんで、カゴに木の枝を目一杯いれて、それを後で海岸に進入して来たトラックの荷台にどんどん放り込んでいって回収するとか。あと、普通の半透明のビニール袋に木の枝を入れて、それを後で回収するとか。そんな作業でした。

 

 あとは、まあ、動物の死骸とか、亀とか大きな魚の死骸も漂着していたので、それらの処理とか。あとは糖尿病患者が使用するような、インシュリン注射っていうんですか?なんかよく分からないけど、オレンジ色っぽい注射器が大量にあって、それらも回収して分別して捨てました。勿論、自分の腕とかに刺さらないように慎重に扱いました。まあ、あとはカツオノエボシという猛毒のクラゲも漂着していたので、マジで危なかったな。まあ、それらは金属製の摘まむ道具で袋に入れて処理したと思います。

 

 まあ、金目の物は特にありませんでした。まあ、なんか免許証とかが入った財布とかがたまにあったけど、それらは、まあ、交番に届けたりしました。まあ、たまに一円とか百円とかが藤沢の砂浜とかに落ちていたけど。まあ、祭りの後とかに誰かが落としたんでしょう。

 

 まあ、あとはプラスチックゴミですね。ポテトチップスの袋とか、まあ、そこそこの人口の県の海岸沿いに行ったことのある人ならば、けっこうゴミを発見すると思います。愛知県とかも大量のゴミがありそうですけど。まあ、そんな感じです。空き缶とか、空き瓶とかも大量にありました。

 

 湘南の海も、夏、大量の木の枝とかが、みんなが泳ぐ海の波の中にあるので、マジで汚いのですが。まあ、自然の摂理なので、人間側としては、ただひたすら掃除するしかありませんね。だって、川を流れて自然に内陸の方から流れて来るんだから、仕方がないじゃん。

 

 まあ、この仕事は、普通にこなせました。接客する必要もないし、炎天下とはいえ、客にペコペコするのが苦手な私としては、たとえ暑くても、こっちの方が気が楽でした。あの家電量販店の中の仕事は、クーラーは効いていても、やはり全然件数を獲得できずに、即ちそれは全然使えない奴認定されるということであり、それは気持ちが沈むことなので、やっぱり少しでもまともに貢献できる仕事の方がやりがいはありますね。

 

 まあ、最初の七か月位の期間だったかな。たしか四月頃スタートだったかな、いや、もっと遅かったかな。忘れたけど。とにかく、う~ん、多分、四月頃だったと思うけどなあ。で、十月頃に一旦期間雇用が終了した。で、それまでの班長は、一名は、この仕事が開始してから数ヶ月後に他の仕事が決まったらしく辞めました。で、作業員からKさんが班長に昇格しました。で、期間満了になって、もう一名の最初から班長だった人も退職しました。で、なんか知らないが、俺が昇格した。

 

 なんか、他の人達は、もう、面倒なことはやりたくない人達だったから。班長は、たしかに給与面は他のトラックドライバーとか作業員よりも高いよ。でも、その分、作業員を乗せた車の運転とか、その日の作業区域の用紙とか、作業開始前と作業後の写真を撮影するとか、それらの資料を纏めるとか、マジで面倒だった。なので、誰もやりたがらなかったのだ。

 

 まあ、でも、私が推挙されたので、私以外にはやりたがる人なんていないのだから、しょうがないので、私がやりました。まあ、別に私もやりたかった訳ではなかった。が、周囲から勧められて、人の上に立つ経験もした方がいいよ的な言葉で煽てられたし、俺らがサポートするからと作業員の人やトラックドライバーの人達が言ってくれたので、自分が班長に就任しました。延長期間は、たしか四か月位だったと思うので、その期間、班長をやりました。

 

 まあ、でも、班長をやってみて理解したのが、私は人の上に立つ人間ではないな、ということです。超面倒だわ、人の管理っつーのは。マジで。だって、派閥みたいなのが、その、俺を入れてたった10名の中でも、既に早い段階でばっちし出来上がっていて、UさんとSさん、そしてGさんと元班長のHさんで、なんか、対立していたんだよな。まあ、派手に喧嘩することも・・あったなあ。そういやあ。

 

 マジで、つーか、UさんとSさんは、班長やりたがらないくせに、班長をやっていたHさんの仕事のやり方が全然駄目だ、みたいにボロクソに陰ながら言っていた。で、班長って実際にやってみたら、けっこう大変なんだよなあ。で、ある日、Hさんが撮影用のカメラを紛失して、それで、みんなで小田原辺りの砂浜で探していて、その時にUさんがキレて、Hさんをボロクソに目の前で罵ったとかあったんだよなあ。

 

 まあ、結局、暫く捜索したら見つかったと思ったけどさ。まあ、Uさんって、元々、けっこう大きな建設関係の企業で、かなりの給与額を貰っていた人らしいので、まあ、その人自身の現役時代の仕事ぶりと比べて、Hさんの仕事ぶりが我慢ならなかったらしい。でもさ、もうあなたはその大企業の社員じゃねーし、今は海岸清掃の財団が雇う、臨時雇用の一斑の中の、更に一番下の作業員の身分なんだから、そんなに他人の仕事ぶりをボロクソに言わなくてもいいじゃん、Hさんがミスしようが、自分の身銭が減る訳でもないのに、と思ったなあ。

 

 こういう人いるよね。いつまでも現役時代の偉い自分の気持ちのままで、もう無職の一般人になっているのに、それでもなお、他者に対して威張り散らす奴は。もう、今のあなたは定年退職後の単なる爺さんなんだから、そんな威張り散らさないで!怒りまくらないで!ということです。

 

 まあ、で、Hさんが辞める前は、HさんとGさんで、UさんとSさんと対立していたけど、Hさんが辞めてしまって、Gさんは孤立してしまいました。で、それでもUさんとSさんはGさんの悪口を言っていたなあ。まあ、これらは全て全員60代だと思うけど。ギリギリHさんがまだ50代だったかもしれないけど、まあ、みんな似たような年齢ですよ。歳の差は十歳以内ですよ。それでいがみ合っているんだから、今迄あんたら、人生で何を学んできたの?っつー話ですよ。

 

 まあ、でも、何とか終わりました。まあ、色々あったけど、詳しくここでは書かない。まあ、肝心なのは、私はこの仕事なら、こなせた、ということです。肉体労働はキツいと言いますが、この肉体労働ならば、当時の自分ならば、こなせました。

 

 でも、真鶴だっけか、湯河原だっけか、え~と、ああ、今調べたら真鶴町でした。ここの海岸へは恐ろしく長い階段を上り下りしなければならない。エスカレーターもエレベーターもないからな。で、ここは下からミニサイズのゴンドラっつーんですか、違ったっけ?まあ、とにかく、運搬用の路線があって、そこにミニサイズの運搬用のカゴがあり、そこにビニール袋に一杯に入った木の枝とかのゴミを乗せて上まで運んだのだが、それが故障したことがあった。なので、原始的な方法で、つまり両手に持ってゴミを一々上まで運搬しました。まあ、実際の階段の距離を知りたい人はネットで見てみてね。超長いから。それを何往復もしました。だから、体力的にはキツい時もありました。

 でも、それでも、やはり活躍できる、まともに仕事できるというのは、精神安定上やはりデカいと思います。蚊とかもいるし、急な雨とかもあるけど、やっぱり、フレッツ光の時のように、てんで活躍出来ない仕事内容というのは、たとえ冷房の効いた室内での仕事だったとしても、けっしてそれはやりたいとは思えないのでした。やっぱり、自分なりに貢献できる仕事の方が良いよね。

 

 まあ、この海岸清掃の仕事は、翌年の二月頃までだったかな。まあ、それで期間満了になって退職しました。だって元々期間雇用で、ゴミが大量に発生したから、追加で四カ月間位延長しただけだったから。

 

 まあ、その後、一旦別の仕事をやりつつ、またこの仕事に復帰しました。その年はたったの四カ月程度だったと思う。最初にこの仕事をやって、翌年に退職して、その更に翌年だったよな、たしか。その間、サイト制作したり、後述する福島県に除染しに行ったりしていたのでした。たしか七月半ばか後半スタートで、それでその年の十二月初旬か半ばに終了だったような気がする。12月19日頃に終わったかな。

 

 で、翌年は、たしか四月頃から開始して、それで年末までだったかな。なので、八か月位やったかな。で、それ以降はしていない。まあ、それ以降は、県の予算の関係とかで、人員が縮小されたらしいから。

 

 メンバーは、二回目の雇用の時は、一回目の時の顔ぶれとはけっこう異なりました。まあ、合計三班あったのが、三浦方面の班は知らないが、湘南地域とか小田原地域を担当していた二班が一斑に縮小されたので、もう一つのそちらの班にいたメンバーとかが入っていた。で、三回目の年は、たしか同じメンバーだったな。で、それで無事に解散しました。

 

 まあ、とにかく、人間、それぞれに適正があるので、出来る範囲内の仕事をした方が良いと、私は思う。いや、誤解しないで頂きたいのは、今出来ることよりも更なる高みを目指すな!と言っている訳ではない。寧ろ、それぞれの道において、より高みを目指す努力はすべきだ。ただ、私が言いたいのは、全く適正のない分野で努力しても無意味だ!ということです。不毛な努力はしない方が良いということです。まあ、営業が苦手な私が、延々と五年も十年も営業の努力をしても芽なんて一向に出ないであろう、ということです。