さて、ここでは、手と指のありがたみを、画像で説明します。説明って言っても、ただ単に、自分で海岸で撮影した写真を見せるだけです。
でも、数万文字の文章よりも、たった一枚の写真の方が、より真実・真理を伝えることもある。
いくら文章で、指や手や手首や腕があることの素晴らしさを説いても、それは正確には伝わらないであろう。よって、私は、写真で伝える方法を採用しました。
もしもあなたが腕のない障害者ならば別だが、大抵の人にとり、あなたの両腕及び両手及び両手首及び10本の手の指は、自然な形で、生まれた当時から今に至るまで、そこにある筈だ。
それは当たり前であり、当然という感覚だろう。一般庶民がポルシェとかBMWを所有することは当然とは言い難い。なぜなら、高いからだ。しかし、両腕ならば、対価を支払って手に入れたものではない。生まれた当時から自然に、無料で備わっていた機能だ。
だから、その両腕のありがたみに関して、あまり熱心に考えたことはないだろう。そう、世界中の水資源の乏しい地域住民にとって、日本人の水を大量に消費する暮らしが羨望の眼差しの如く、腕のない人にとっては、多分、腕があり、自由に物が掴めて、車の運転とか、スーパーで食べ物を買い物かごに入れたりすること、また、財布から現金やカードを取り出すこと、スマホのペイペイやD払いで支払うことも含めて、それらは全て、腕が無ければ出来ない芸当であり、憧れの的であろう。
勿論、腕のみでは駄目で、神経もちゃんと繋がっていなければ動かせないし、指や手首や掌、手、骨、皮膚に至るまで、全てが連動して最重要なのだ。
勿論、生存に関しては、脳や心臓の方が、両腕よりも遥かに重要な器官だ。別に両腕がなかろうが、生存自体は可能だ。しかし、生活の質の面からすれば、両腕が使えなくなったならば、途端に生活の質が下がることは明白な事実だ。
だからこそ、今、あなたの体に当たり前のように備わっている、その両腕も、両手も、両手首も、10本の指も、大切にしてやってくださいな。喪失してからでは、もう遅いから。