めぞん一刻QUEST❤ 幸せ涙

齋藤健一の人生応援ブログ💙

【ARC】という不老の映画を見て、語る⑤

 【Arc】という邦画を見ました。まあ、これはブログ形式なので、どうしても一番最初に書いた文章が奥の方になってしまうので、一応、最初に書いた文章へのリンクを貼っておきます。こちらに、大体のあらすじも書かれています。まあ、ネタバレが嫌な人は読まないこと!

 

 

www.maisonikkoku.jp

 

 

 まあ、それで、ここでは、【命】について語りたいと思います。

 

 命とは、そもそも、何なのでしょうか?肉体が生命を維持している間の期間のことでしょうか?それならば、肉体が死ねば、命は尽きます。

 

 でも、永遠の命という表現が宗教上に散見されるように、もしも死後にも、今、私やあなたが思考しているような感覚・意識が続くのならば、たとえ肉体は失われても、それは命が続いていると表現しても、差し支えないと思います。

 

 【Arc】という映画では、主人公の女性が、30歳で不老の施術を受け、不老になりました。まあ、定期的な投薬は必要ですが、薬を打ち続けさえすれば、ずっと永遠に30歳の見た目のままです。

 

 まあ、89歳頃までは、若々しい肉体のままでした。が、137歳だっけか?もう、その頃には、普通の老婆になっていました。要するに、自らの意思で、若々しくいることを放棄したのです。老化防止薬を打ち続ければ、200歳でも300歳でも、ずっと30歳の見た目のままで生きられたのに、自ら死ぬことを選びました。

 

 娘や孫もいるのに。決して、一人ぼっちになったから死ぬのではなく、家族もいるのに、あえて死を選択しました。

 

 まあ、当然、本来ならば、とっくに死んでいた筈だったのです。

 

 映画を見るに、この主人公の女性は、宗教的な考え、つまり死後のことなど、微塵も考えていなかった。ただただ、若々しく生きていた。若々しく生きていたいと欲して、30歳のまま、ずっと生きた。

 

 う~ん、でも、人間、いつかは必ず、考え方の転換が訪れると思います。流石に、この物質主義に染まった主人公の女性でも、霊的なことを何も考えてこなかった主人公でも、流石に、100歳を超えて、もう、生きることに疲れたのだろう。

 

 人間、所詮、永遠の命といっても、そんなものは、途中で下らないと気付いてしまう。自殺志願者ではなく、真逆の【永久に生きたい志願者】だったとしても、流石に137歳も生きれば、もう飽きが来る。

 

 世の中、永遠の命を夢見て、自分の死後にも、自分の肉体を冷凍保存する金持ちもいれば、自殺する者も多数いる。

 

 だが、結局、それも、春と夏が来る、この季節の一巡が100回も廻れば、殆ど全ての人間は死んでいる。稀に102歳になっても生きている人はいるものの、大体は死ぬ。

 

 う~ん、別に偉そうに、何かを訴えたいことも、特にない。何か、特別なテーマも何もない。ただ、考え無しに、この文章を書いているだけだ。

 

 まあ、そんな訳なので、命といっても、そんなものなのだ。

 

 だから、永久に固執するような価値ある代物でもないし、逆に途中放棄すべき無価値なものでもない。

 

 要するに、各人の寿命が来るまでは、生きろ!ということだ。