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齋藤健一の人生応援ブログ💙

私の仕事歴⑧

 まあ、で、訪問販売の仕事が惨敗した私は、それでもなぜか、まだフレッツ光の仕事に拘ってしまいました。多分、あれだけ努力したのに、一件も獲得できなかったことが、当時の私にとっては悔しかったのかもしれません。

 

 まあ、今の私ならば、そっち方面の仕事はお前の適正ではないのだから、とっとと撤退しなさいと言いたいのだが。まあ、でも、当時の私は、「くっそ~!今度は、家電量販店勤務ならば、必ず上手くいくに違いない」みたいに勘違いして、懲りずに、またフレッツ光の営業の仕事に応募したのでした。

 

 まあ、とある派遣会社に登録して、東京都の町田市にあるヨドバシカメラのパソコンコーナーに勤務しました。つーか、一言、ここで言わせてくれ。やっぱ、やっぱりね、やっぱ、新卒から自分の適正に合った分野に一途に勤務し続けるのが最強だと思うわ。こんな、コロコロとフンコロガシみたいに転職しまくるのは、やっぱり良くない。また一から信用の構築も、仕事を覚えることもしなければならないのですから。

 

 で、なんか、勤務先は近場の家電量販店を想定していました。せいぜい藤沢辺りまでの。でも、横浜も川崎も通り越して、町田市まで行ってしまいました。というのも、なんか、その派遣会社の派遣先の空が、そこしかなかったからだ。

 

 で、まあ、全くの初心者の同期と共にその仕事に就きました。たしか四名位いたような。でも、俺だけどんどん置いていかれました。

 

 最初の方は、同期の人達も、フレッツ光とかの知識が無知で、「齋藤さんは前にフレッツ光の営業の仕事していたから知識があっていいですね」みたいに、ちょっとだけ言われていましたが、マジでついていけなかった。同期の人達にどんどん追い抜かれました。

 

 つーか、無理っす。でも、逆に言えば、俺、こういう活動しているから。自死防止活動しており、こういった方面のことに関しては、他の追随を許さない、圧倒的な実力、リアル範馬勇次郎だから。なので、最初から自分の得意分野に注力し続けておれば、もっと早く花が咲いたと思うのだが。しかし、その頃の私は、まだ自分に何が合っているのかなんて、てんで見当がついていなかった。

 

 まあ、完全なる遅咲き、え~と、こういうのを何て言うんだっけか、あ、そうそう、大器晩成でした。まあ、まだ花開いてねーけどさ。でも、今も継続して努力しているけどな。

 で、まあ、他の同期が、どんどん成長して、一日で最低でも一件、多い時は二件、三件と獲得出来ていたのに、俺は一向に成長せずに、28日連続でゼロ件とか達成してしまった。

 

 つーか、たしか地下がおもちゃ売り場だったと思うが、そこのポータブルゲーム機が入ったガラスケースの横で、なんか意味もなく大声でフレッツ光の宣伝させられていた。つーか、今から思えばマジで意味ねーよな。まあ、フレッツ光に加入すれば、最新のゲーム機が割引価格で買えますよ!みたいなキャンペーンを展開しており、それで興味を持った客を、お前の説得では無理だからと、饒舌な勧誘員がいる場所まで案内するという役目だったような。或いは誰かをその場まで連れて来るとか。要するに、神奈川県の平塚駅前の飲食店通りによくいる怪しい居酒屋の客引きみたいなものですよね。

 

 はあ、マジで無理だよ。俺は、誰も思いつかないような発想が出来る代わりに、そういった規定のやり方の行動及び仕事内容はてんで駄目だから。

 

 で、ある時なんて、フレッツ光勧誘員の現場の長に、「なんでお前はこんなに出来ないんだ!同期はどんどん成長してるぞ!」みたいに叱責されたけどさ。でも、今から思えば、マジで無理なものは無理だから。逆に、今、俺がやっていることは、そいつには全く出来ないからな。なので、万能型の人間もいれば、俺みたいに特定の分野特化型といいますか、まあ、特定の分野でなら他の追随を許さない程の圧倒的な実力を発揮するが、その代わり、普通の仕事はてんで駄目というパターンもあるからな。

 

 つーか、ユーチューブで見たが、IQが300もあるのに、対人コミュニケーション能力が極度に駄目だったせいで、精神的に潰れて、若くして死んだ男もいたらしい。なので、本人の能力を遺憾なく発揮出来る分野の仕事に就かないと、そんな究極の知能の持ち主であっても、潰れてしまうという事例ですね。なんか、凄い若いのに、たしか13歳とかで、自分よりも遥かに年上の大学生に教えていたのかな?でも、そのせいで年上達から恨まれて、虐められて、潰れたらしい。だったら、誰とも話さずにひたすら研究できる仕事を周囲が用意してあげれば良かったのにな。はあ。

 

 まあ、あまりにも出来ないので、もう無理だと思って、三週間目位に派遣会社に電話したけど、丁度その時が、他の派遣会社からの派遣社員から、私の派遣会社の派遣社員に切り替わる時期で、辞めさせてくれなかったのだ。なので、ボロクソに罵倒されながらも勤務し続けねばならないという地獄の状況になったのでした。

 つーか、やっぱり通勤時間の短さというのは最重要だと思った。だって、町田って、神奈川と接している場所ですが、湘南地域からはやっぱり遠い。しかも電車通勤だから、途中で頻繁に人身事故が発生するしさ。で、遅れるしさ。

 

 アホみたいだ。バカみたいだ。なぜこの頃の俺は、そんな、無理な方面にばかり活路を見出そうとしていたのだろうか?まあ、色々と紆余曲折しなければ本物の活路を見出せないというパターンだろうなあ。何もせずに家の中で、頭の中だけで考え込んでも、実際に動いた結果は分からないからなあ。だから、今から思えば、当時の私はキツかったが、まあ、これで良かったのかもしれない。

 で、五カ月経過しても、結局、成績は上向かなかった。無理、もう無理ということで、辞めました。とうとう辞めさせてくれました。つーか、派遣会社としては、とりあえず人を送り込んでおけば、自動的に派遣会社に依頼元のNTTから報酬が入るからな。で、チーム制の仕事だったから、俺個人が獲得できずとも、他の奴らが獲得できていれば、それで良かったのかもしれない。だって、この仕事は、沢山獲得できたからといって、そいつの時給がアップするような類の仕事でもなかったしな。

 

 まあ、五カ月経過した位の頃には、もう完全に派遣会社の人員も入れ替わっていて、俺の代わりの人も新たに入ったので、そいつと入れ替わりで抜けられました。

 

 つーか、俺の教育係を務めた前任者(入れ替わる前に他社から派遣されていた派遣社員)も、俺があまりにも出来ないので、もう教育するのは疲れました、と、俺の直属の上司に言っていたらしいからな。まあ、だから、適性のない仕事をやっても、その上司も、同僚も、その組織も不幸になるからな。

 

 つーか、そいつは、俺が秋葉原に行った時に、とあるパソコンショップで店員をしている姿を偶然見つけたけど、まあ、そいつにとっては、パソコンの接客方面の仕事が性に合っていたのだろう。俺は真逆で、機械とかパソコンとか接客とかはてんで駄目だったが。

 

 まあ、もうこれに懲りて、接客とか営業とかには、たしか二度と応募することはなかったかな。俺には無理っす。誰かにペコペコしたりおだてたり作り笑顔するのが死ぬ程苦手だからな。無理だ。

 

 まあ、給与面は、確かに高かった。時給がたしか1300円位だったかな。で、通勤手当とかもちゃんとあったような気がする。で、月の給与は、全然出来ないくせに23万円とかあったような気がする。この額は、俺が今までの人生で勤めた職場から貰った給与の中で、圧倒的に最高額である。まあ、厚生年金は加入させてもらえなかったと思うが。健康保険とかも未加入だったと思うが。

 

 でも、結局、出来ない出来ないと罵倒されながらする仕事は、やっていて精神が擦り減る。つーか、マジで、なんか、通勤途中の電車を見て、ジーッと見て、ちょっと飛び込んじゃうんじゃないかと、少し危なかったからな。なので、金銭の問題ではない。俺が気持ち良く、ある程度プライドを持ってこなせる仕事かどうかが最重要だ。そんな、完全なる給料泥棒扱いされたまま高い給与を貰い続けても、マジで精神面がヤバいから。