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齋藤健一の人生応援ブログ💙

ユージン・クズペルスキーから日本の子供達へのメッセージ☆

 日本の皆さん、こんにちは(^^♪

 

 私は巨大セキュリティソフトクリーム会社を設立した、ユージン・クズペルスキーと申します。

 

 セキュリティソフトクリーム〔クズペルスキー〕のロゴ

 

 ところてん、てか、ところで、最近の日本の子供達は、少子化で、どんどん人数が少なくなっているようだ。が、その反面、自殺する子供の数は加速度的に上昇しているようだ。

 

 つまり、子どもの自殺率が上昇しているということだな。これは由々しき事態だ。故に、どうにかしないといけない。

 

 んで、私なりに、色々と考えた。が、書くのは面倒なので、動画で話しました。まあ、私は得意のITを用いて、ネットのサブスクでハリウッド映画のITを観ました。

 

 という訳で、子供達よ、人生は何とかなる。

 

 一時的に逃げてもいいが、ずっと引籠り続けるというのは駄目だぞ。しかも、家にいる間でも、通信教育等で学習すべきだ。

 

 てか、例えば虐めがあるならば、即、その問題を解決すべく行動に移すべきだ。何もしないと、加害者側も増長するだけだ。相手にはそれなりのペナルティ〔罰・社会的な制裁〕を与えねばならない。仮に思うような制裁を与えられなかったとしても、こちらが警察を動かしたということが判明すれば、相手は連続して加害はし辛いであろう。

 

 なので、苛めに関しては、自力で、独力でどうにか対策しようとしても、恐らく、あなたの学校の糞教師共は隠蔽を試みるであろう。なにせ、北海道の酷過ぎる虐め自殺事件の加害者の子供を、その学校の教師は、「加害者の子供にも未来があるんですよ!」などと主張し、全く何の制裁も加えようとせずに保護し続けたからな。

 

 そもそも、教師という職業は特殊なのだ。なぜなら、教師という職業は本来、その者自身に豊富な人生経験があって、初めて他人に指導することが出来る立場だ。だが、教師の場合、大学を卒業したてで、いきなり教師になる。そして教師という環境は特殊だ。大学の教育学部という学校を卒業して、また直ぐに学校に戻ってくるのだ。それは特殊ではあるまいか?学校を卒業した後に、また直ぐに学校に戻ってくると。そして人生経験もほぼ全て学校で積んでいくのだ。なぜなら職場が学校だから。

 

 これは矛盾しているように感じる。つまり、新人教師の段階から、定年退職まで、ずっと学校という閉鎖的な、極めて特殊な空間でしか人生経験を積めない。多分、学校以外の場所での人生経験など、まあ、遊びとか、その程度でしかない。

 

 なので、変な人間が続々と誕生するのだ。だって、生まれてから義務教育の期間、そして高校、そして大学と、全て学校で過ごし、大学卒業後は即、教師として採用されて、また学校に戻って来る。まるで鮭だな。いや、鮭は川から巣立って大海原に出て、また戻って来る。つまり川以外の環境で修行をしてくる。が、教師は、ずっと学校以外では人生経験を積めないのだ。

 

 つまり【学校】という超閉鎖的で特殊極まりない空間でしか生きてこなかった、学校以外の職場での人生経験のない人物が、子供の進路の指導なんて、果たして出来るのか?確かに学校も職場ではあるものの、膨大な子供と接する職場というのは、学校以外には、恐らくは存在していない。工場とか配達とかオフィス勤務とかでも、大勢の子供となんて過ごさないからな。

 

 まあ、陸上自衛官を五年間勤務した後に大学に入り直して教員になった、とかいう人も、探せばいるだろうが。でも、殆どいないであろう。う~ん、なので、あんまり教員という人種に期待しない方が良いと思うのだ。

 

 毎日、ニュースでとんでも教員の不祥事が流れて、みんなうんざりしていることであろう。が、その原因はきっと、前述したように、教員以外の職場を未経験のまま今に至るからではなかろうか。周囲にも教員しかおらず、そのベテラン教員、中堅教員達も、やはり教員しか経験がないので、つまり伝統的な教員色に染まるのであります。

 

 その点、私はけっこう駄目人間なので、底辺の観点から物事を見られる。まあ、そんなことは誇れることではないがね。ただ、もう少しすれば、私の人生は桜満開、ゴールドの保留玉、もう直ぐ30連チャンの大爆発を迎え、私の人生は花開くであろう。なにせ、待ちに待った大開運の時期が迫っているからな。

 

 私は教職員のように、公務員ではなかったので、全く給与の補償なんてものはなかった。この場合の【ほしょう】は、補償、保障、保証、果たしてどれかな?まあ、いずれの意味も、何か法律的に助けてもらえるという意味合いがありそうだ。が、私の人生は、全く何の助けもなかったな。制度からの助けという意味ではね。

 

 年収はどの年もずっと200万円未満でしたよ。う~ん、でも、今は42歳だが、今が一番楽しいよ。だって、ずっとサイト制作の努力をし続けてきており、やっとその成果が花開く時期に到来しているのだからな。あと一年ちょっとで完成するであろう。

 

 そうすれば、あとは俺の時代だ。

 

 そして、俺から言わせてもらえば、人生というのは、キッパリと言うが、若年期が主流ではない。若者の大半は、人生とは若い時期にしか価値がなく、中年になっちまったら、もう終わり、あとは惰性で生きるのみ、という観念を持っている人が多数いるであろう。

 

 が、逆に私の人生の場合、若年期がにっちもさっちもいかない暗黒期であった。今、42歳と4か月の中年期ですが、今が一番楽しいよ。きっとこれから良くなるんだよなあ、あはは(^^♪

 

 う~ん、なので、とにかく、学校の教師共は当てにならない。故に、苛めで死にたい程に悩み中の子供は、とっとと警察に行け。警察に行き、記録に残せ、相談した記録をな。

 

 次に、厭世自殺をする子供だが。厭世というのは、つまり生きることが嫌になることであるから、厭世自殺は、生きること自体が嫌になって自死に至るということだ。

 

 確かに、その気持ちは分かる。俺も、最近は気持ちが上昇してきたので、全く、まあ、たまに〔死にたい〕とは言うけれど。まあ、俺も若い時期は、頻繁に〔死にたい、死にたい〕とポツリ、ポツリと発言していたよ。まあ、大っぴらには言ってはいなかったが。

 

 別に、俺は「死にたい」と言うこと自体は、あまり問題視はしていない。なぜなら、余程恵まれた人間でない限りは、人は頻繁に気持ちがブレて「死にたい」気分になると思うからだ。まあ、他人の心中を覗き見ることは不可能だが、俺の場合はそうだったから。

 

 ただ、頻繁に死にたいと言ってもいいけど、やはり自殺行為はしては駄目だと思うんだ。よくリストカットをすることにより、本当に死んでしまう危険性の極めて高い首吊り行為への衝動を抑えるみたいな記事を、過去に読んだことがあるような、気がする。

 

 まあ、致死率の極めて高い自殺行為は駄目だが、死ぬ危険性の低い自傷行為なら、まあ、いいか、みたいな感じか。う~ん、でも、やはりリストカットでも、少し力の入れ具合が強くなれば動脈を切ってしまう危険性があるので、俺はたとえリストカットであれ、自傷行為自体、止めた方が良いとは思うけどね。

 

 う~ん、で、死にたいと思うことは、極めて普通だと思うんだ。けっして異常だとは思わない。これは何も現代社会の病巣という意味ではなく、仮に200年前だろうが、400年前だろうが、1000年前だろうが、人は頻繁に死にたいと思っていたと思う。

 

 だって、産業革命期の労働者なんて、ゴミクズ扱いされて馬車馬の如くこき使われていた。そして腕切断の大事故を負っても、きっと雀の涙程度の金だけ渡されて、もう使えなくなったからと、ポイっと捨てられていたことであろう。

 

 戦国時代も、人が奴隷として売られていた時代で、みんな幸せだった訳がなかろう。権力者も庶民も、いつ殺されるか、いつ転落するかという恐怖に怯えつつ生き続けていた時代が、幸せな訳がなかろう。

 

 明治も大正も昭和も、戦争の連続で幸せではなかったろう。江戸時代も、果たして本当に庶民は幸せだったのか?きっと大勢の人は、頻繁に死にたいと言っていたのではなかろうか?ガチガチに身分が固定されている社会が、本当にいいのか?ならば、今の北朝鮮の社会体制が理想だと、本当に思うのか?ジャガイモを輸入して栽培しておれば飢餓の心配はしなくて良かった、みたいな記事を読んだことがあるが、江戸幕府は馬鹿なので、頻繁に飢饉が発生していたしな。鎖国も、本当に良かったのか?

 

 昭和の戦後の時代も、高度成長期とか言っているが、職場での喫煙が当たり前で、受動喫煙で、自分は喫煙は一切していなかったのに、職場の馬鹿共が目の前でタバコを吸いまくるせいで、巻き添えで肺癌になるような時代が、果たして本当に幸せだったのだろうか?過労死も今以上に頻発していただろうしな。

 

 寅さんとか三丁目の夕日とかの、昭和の高度成長期を美化した作品のせいで、あの頃は良かったとか思い込んでいるだけで、イタイイタイ病とか水俣病が発生していたような時代が、果たして本当に良い時代だったのか?高度成長期も、人々は頻繁に死にたいと思っていたのではなかろうか?

 

 まあ、バブルの頃は、バブルの頃だけは、黙っていても超金が儲かるので、本当に良かったのかもしれない。が、それは蜃気楼なので、直ぐに弾けたが。その後の長期低迷、自殺者三万人越えが当たり前の時代で、人々は幸せな筈はなかった。まあ、個人個人で見れば、相性の良い結婚相手と結婚出来て幸せ一杯!という輩もいただろうが、全般的に言えば、大して幸せではなかったろう。

 

 就職氷河期世代とか、リーマンショックとか、あんな超長期低迷時期が、幸せな筈がない。今だって、働いても働いても、多くの中小企業勤務者にとっては、自分一人が生きていくだけで精一杯の金しか稼げない時代なんだから、大勢の若者も中年も、結婚も出来ないからな。ましてや子育てなんて夢のまた夢だ。春闘の賃上げとかいうのも、大企業だけだ。その大企業も、一寸先は東芝だからな。

 

 う~ん、海岸清掃の仕事をしていた頃に、バブルの頃に既に大人だった人に聞いたのだが、バブル時代は、ほんの数時間の簡単なバイトだけで、日当13000円とか稼げていたらしい。だが今は、バブルの頃よりも遥かに社会保障費の負担増、消費税激増のくせに、賃金はとんでもなくケチだ。バカみたい。そんで、多くの有権者は、相変わらず自民党を支持し続けているんだからな。アホ草。

 

 アベノミクスとかいう地獄の政策のせいで円安地獄に誘導されて物価も上がり続けているのに、賃金の上昇は大企業の正社員だけ、しかも大企業の正社員でも、賃金上昇分は物価上昇分で相殺されてしまうという。んで、中小企業勤務者はマイナスになるばかりという。

 

 こりゃ、これから社会に出る子供達に対して、未来に希望を持てなんて、馬鹿じゃないのか?無理に決まっているだろうが!社会に出て自由に職業選択等をして生きられる立場の大人達でさえ、かなりの割合が絶望する社会なのだから、これからそんな絶望社会に出て、雀の涙程度の賃金で働いていかねばならない子供達に、未来に希望を持てとか言っても、無意味だから。無理です。

 

 そんで、大谷翔平とか、藤井壮太とか、そんな特定の個人ばかりを持ち上げてワイドショーとかニュースの時間を大幅にそいつらに割くんだよな。てか、努力したってそいつらにはなれねーよ。大体、大谷翔平の両親から生まれた大谷翔平の兄は社会人野球止まりだろ、たしか。そんな、奇跡的な遺伝子の組み合わせの確率で生まれた天才を持ち上げ続けても、視聴率は稼げるかもしれないが、大多数の凡人の子供達への励ましになんて、一切ならないよ。逆に、大谷翔平ばかり持ち上げることは、ああなれない奴は絶望の未来しかないと、強く印象付けるようなものだ。アホ草。

 

 だったら、子供に対して「未来に希望を持ちなさい!」なんて主張する奴は、お前の生活費、毎月10万円に絞って、それを今後死ぬまで続けろと言ったら、お前はそれでも未来に希望を抱き続けるんだな?無理だろ?だから、今の社会状況で、子供達が未来に絶望するのは致し方がない。その状況にしたのは大人達なんだからな。まあ、俺は違うけど。俺は国民民主党に投票したから。まあ、今でも相変わらず自民党に投票し続けている奴等のせいですね。

 

 やっぱり、こんな時代なんだから、子供達が死にたいと思うのは、至極当たり前だろう。人間の気持ち・精神構造として、これは当たり前だ。至極、当たり前の精神の反応だろう。

 

 これだけマスコミ共が頻繁に「日本の先行きは暗い、お先真っ暗だ」と宣伝及び洗脳しておいて、子供に対しては「未来に希望を持ちなさい!なんでそんな死にたいなんて言うの?」なんて通用する筈がない。

 

 だってね、若者だらけのインドネシアは、これからどんどん国が発展していくので、若者の表情も明るいようだからな。日本の若者の表情を暗くしたのは、日本で、人件費のコストカットばかり進めた奴等とか、非正規制度を大々的に拡充した奴等とか、そいつらのせいだろ。

 

 だって、そういう、日本の若者が未来に絶望する状況にしたのは、権力者共なんだから。

 

 まあ、だが、権力者共に抗議しても仕方がない。今、自分で出来ることをしていくしかないのだ、いつの時代でも。

 

 あ、ちなみに、選挙は行けよ。必ず投票しろ。白紙投票とか無意味だから止めろよ。抗議の意味の白紙投票とか無意味だから。投票するのなら、自分の意見を主張して、どこかに必ず投票しろ。各立候補者で、必ず違いはある筈だから。もしも選挙に行かなければ、お前は政治に対して文句を言う資格はなくなる。

 

 まあ、あと、自死したら霊的な警告がある。だから自死してはならないのだ。本来は、そうなのだ。だから、自死しちゃ駄目なの!

 

 詳しくは、齋藤健一氏が纏めた〔自殺してはならない霊的な理由〕を読め。全てな。

 

 私からは、以上だ。とにかく、死にたいと思うこと自体は正常なことだ。この世は辛いからな。だが、それでも自死してはならない。一時的に逃げてもいいけどな。

 

 ユージン・クズペルスキー