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齋藤健一の人生応援ブログ💙

私の仕事歴⑫

 まあ、それで、最初の海岸清掃が終わった後、私は自殺防止のサイト制作をしていました。でも、それと同時に、福島県の除染の仕事にも応募しました。それは、給料が良いからです。でも、後々、冷静になって考えたら、わざわざ福島県まで行って、それで、寮費とか引かれたら、日給一万円程度なので、神奈川の実家から通う範囲内の仕事場の給与と、さほど変わらないので、果たして福島県まで行く意味あったのかな?とは思います。まあ、福島の地元の実家から通える範囲内の人達にとっては、15600円位の対価が丸々自分の収入と出来るので、相当稼げたと思いますが。

 

  まあ、当初は、自殺防止サイトを作りつつ、受かったならば、そのまますんなりと福島県に移住し、私に与えられた寮の居住スペースにて、パソコンでサイト制作を続行しようと思っていました。仕事終わりの時間とか、休日とかに。

 

 でも、後に実際に除染の仕事をしてみて、そのハードさは凄まじく、故に、仕事終わりの余暇時間にサイト制作をするなど、到底無理でした。あと、休日も、そりゃ休日なので一日空いているとはいえ、週に六日、雨天中止や祝日がなければ労働なのだから、めっちゃ疲れ果てているのです。そんな状態で、しかも自分の家でも何でもない、ただ単に居住するだけのスペースにて、パソコンを広げてネットに繋いでサイト制作をするなど、到底無理でした。

 

 だから、結局、10か月か11か月程度の期間、お呼びがかからずにサイト制作を続けていましたが、結果的にそれで良かったと思います。福島県に旅立つ前に、ある程度仕上げられましたから。まあ、今制作中のサイトは、また別の自殺防止サイトで、この時に完成させたサイトとは違いますが。

 

 で、最初に除染の仕事に登録したけど、空きがないからといって、全然呼ばれなかった。後にネットで調べたら、なんか、とりあえず人だけ集めて待機させておいて、空きが出たらそこに派遣するというのが常態化していたという。まあ、待機させておいても、そいつらには一円も支払わずに済むから、派遣会社からすれば、損はないから。

 

 で、除染といっても、この時は、そんなに人手不足ではなく、空きが出るのを待つみたいな感じだったようだ。う~んと、この時はいつ頃だっけか、俺が1981年12月17日生まれで、この時の俺が31歳位で、福島県に行ったのが、たしか二月末頃だったから、まあ、勝手に計算してくれ。

 

 で、いつまで経っても呼ばれないので、最初に登録した派遣会社の登録は解除しました。で、次に、原発内での作業員に応募しました。たしか大阪の派遣会社でした。で、ちゃんと登録して、なんか暫くしたら派遣されます、みたいなメールも貰ったが、なんかいつの間にか有耶無耶になり、消えました。つーか、その派遣会社自体消えたような気がします。

 

 まあ、最初は原発内での作業なので、報酬も当然高いので、それで良い、ラッキーだと思っていました。が、今、思うと、流石に原発内は放射線濃度も高いので、まあ、行かなくて良かったのかな、とも思います。人間万事塞翁が馬ですね。

 で、他のところにも登録したけど、いつまでも派遣されなかった。なので、また登録解除した。で、サイト制作し続けてから10か月か11か月経過後、漸くサイトが完成したので、それで、そのタイミングで、また別の求人に応募しました。そうしたら、すんなり受かって、それで福島県に行く日もすんなりと近い日に決定したので、行くことにしました。まあ、これは多分、神様が、サイトが完成するまでは、俺に福島県に行かせない為の処置だったのだと思います。

 

 で、その受かった除染の所に行きました。つーか、除染の所と書いたが、なんか、そこは、別に派遣会社ではなかった。まあ、なんか、日本らしくてややこしい構図なのだが、まあ、一番上に大手ゼネコンがあると。で、その下にどんどん下請け、孫請けとかが連なる構図なのです。勿論、上に行く程、金が儲かる。下に行く程、報酬は少なくなる。まあ、中抜きの連鎖ですね。

 

 で、勿論、俺が入ったのは、一番下でした。つーか、直接の俺が所属した組織では、まあ、一番上に大手ゼネコンがいるのは当然だが、そんな雲の上のことは置いておいて、俺の位置から近所だけの構図を説明する。一番上に地元の建設会社があり、その下に俺を雇った所がある、ということです。

 

 で、俺を雇った所と書いたが、これは別に企業ではない。除染は金になるので、全国から、金儲けしたい連中が集まっているのです。なので、地元民以外にも、沢山、全国から集まっているのです。

 

 で、俺を雇った、というか、俺を雇ったのは地元の建設会社ですが、俺が所属していたのは、俺の寮を管理している人達の下でした。つまり、俺らがその寮に住むことにより、支払われる対価を得ることを目的にしていた人達です。なので、その人達は、別に会社ではない。私らは、その人達が契約した寮に住んでいたし、その人達が提供する食事を食べていたし、その人達が光熱水費を支払った風呂に入っていたので、その人達に、出勤日のみ、一日あたり5000円を支払っていました。

 

 まあ、なので、厳密に言えば、多少の不公平は発生します。だって、月に15日しか出勤しない人も、月に20日出勤する人も、まあ、ずっとその寮に住んで同じ食事も食べているのにも関わらず、一月に支払う金額は、15日出勤の人は75000円で、20日出勤の人は10万円ですからね。

 

 まあ、そんな感じです。誤解しないで頂きたいのは、別にその人達はヤクザとか半グレではありません。そういう、闇金ウシジマくんに出て来るやべー奴等みたいなのは想像しないでください。タコ部屋にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれて、脱走したら拷問するとか、そういうのとは全然違います。もっと親しみやすい人達です。それで、別に騙されていた訳でもない。だって、他のところも同様レベルの待遇だったから。

 

 まあ、で、最初に、福島県のいわき市内にある、メインのいわき駅とは別の、外れの方にある田舎っぽい何とか駅に集合しました。で、他のおじさん連中も集まって、その後、その寮の管理人達が車で来て、で、ミニバンに乗って、近くのガストみたいなファミレスに行きました。

 

 で、まあ、勿論、これから私らで金儲けするのだから、ここはその人達が奢ってくれました。で、なんか寮に行った後も、宅配弁当みたいなのを食べました。

 

 で、まあ、寮といっても、有名企業の寮みたいなのは一切想像しないでください。単なる平屋建ての一軒家です。ちびまる子ちゃんの家みたいな感じの。もう築100年位で、もう直ぐ取り壊すから、それまで住んでていいよ、という物件です。まあ、どうせ取り壊すので、釘とか打ちまくっていましたが。

 

 で、そこに、まあ、和室が五部屋位の家に、男だらけで13人位だったかなあ。集まりました。でも、いきなり共同生活開始ではなく、その日は、その日の内だったか、或いは一泊して翌日だったか忘れましたが、楢葉町にあるJヴィレッジという施設に行き、そこで登録作業をしました。他の会社の下で働く人達も大勢集まっていました。百人以上。で、50人以上が入れるようなでっかい講堂みたいなスペースで、ビデオを見たり、説明を受けたりして、その後、書類に記入して解散です。ここで、ガラスバッジというものを作るので、その登録作業で、この日から約一か月後まで待機せねばならないとのことでした。

 

 まあ、ガラスバッジといっても、綺麗なガラスのバッジなんて想像しないでください。単なる登録証です。ビニール入れに入った身分証みたいなものです。

 

 で、そんな訳で、私以外の人達は、とりあえず地元に一旦帰宅しました。でも、私は、また往復の電車代を支払わねばならなくなるので、そのまま、寮の管理人さん一人と共に、その寮に住み続けました。あと二人、寮の管理人さんがいましたが、その人達は、ガラスバッジが出来るまで、他の作業員と同様に一旦、寮を離れました。まあ、寮にいる間の生活費は、たしか無料でした。その代わり、何か家の改修作業とか手伝いました。

 

 で、約一か月後、ガラスバッジが出来たので、みんなで寮に集合し、ガラスバッジを受け取り、仕事開始になった、と思う。というのは、ちょっとよく思い出せないからだ。

 

 う~ん、どうだったっけ?何となく覚えているのは、え~と、初っ端から、数名が離脱したということです。なんか、不良のまま40歳になったような人とか、酒飲みの六十代とか、自称東京でキャバクラとかを経営していたとかいう、なんかホラ吹きっぽいおっさんとか、まあ、曲者揃いでしたが、そいつらが、初日の仕事の翌日だったかな、いきなりクビになりました。

 

 つーか、なんか、初日の仕事が終わった後の夜だったか、違ったっけ、まだ一日も働いていない日の夜だったっけ、なんか、とにかく、そいつらがどんちゃん騒ぎしまくって、で、同僚のおじさんのことを虐めて、しかも激しく酔って暴れて、で、翌日、寮の管理人達から、「すみませんが、出て行ってもらえますか」と言われて、酔いが醒めたそいつらは、出ていきました。

 

 つーか、馬鹿じゃん。一体、何の為に一か月近くも待機したのか。除染の仕事で稼いでいく為じゃねーのか?それなのに、全く働いていない段階で、又は一日しか労働していない段階で、そんな暴力沙汰を起こして寮から退出を命令されるなんて、マジでアホだろ。

 

 まあ、普通の人が除染の仕事に来る訳ないので、まあ、しょーがないっちゃーしょーがないよね。だって、分かるよね?地元のフリーターなら実家から通えるからともかく、県外からわざわざ手取り一万円の為に寮にやって来るなんて、碌な人達はいないよね。まあ、それは私の経歴も含めての話ですが。

 

 まあ、その人達がその後どうなったのかは知りません。一応、ガラスバッジが出来上がった状態だったので、他の派遣会社に登録して、そこで働いたのかもしれません。

 

 で、いきなり数名が離脱した。で、また暫くしたら少しずつ離脱していった。つーか、寮の管理人さんも、柔和な人ではなく、プライドが高くて、引くことを知らない人で、まあ、レンガとレンガがぶつかり合う風景と言いますか、互いに引くことを知らない人達なので、衝突して、どんどん少なくなっていきました。

 

 やっぱり、赤の他人で、しかも気性の荒い、荒くれ者達が、一つ屋根の下で暮らしていくなんて、まず無理でしょ。世の中には色んな職場がありますが、もしもその職場の人達と、帰宅後も一緒の家で暮らして、朝の洗面台とかトイレ争奪戦とかも一緒だとしたら、マジで嫌でしょ。でも、そんな展開でした。

 

 まあ、刑務所ならば、秩序があり、刑務官が一番偉いという順位があるけれど、除染の仕事で集まった連中には、そんな秩序及び順位などないので、簡単に衝突が発生してしまうのでした。

 

 まあ、俺は一歩引いて見ていたが。つーか、こんな時に、寮の管理人と衝突したって、何も良いことねーじゃん。別に犯罪している訳じゃねーんだから。こんな県外から来ている一番下っ端の最弱の立場なんだから、偉ぶれる訳ねーじゃん。だから大人しく働いて、寮にいる時も大人しく従い、金を稼ぐことにしました。

 

 まあ、で、結局、数ヶ月後には、寮の管理人を除いたら、たったの数名しか残らなかった。で、元々、その寮の管理人達は、もっと稼ぐべく、自らの会社設立に向けて動いていたのだ。だって、そんな、残った数名から徴収する寮費だけじゃあ、ビジネスにはならないじゃん。

 

 で、その為には、その寮の人達や俺等が所属する地元の建設会社とは別の建設会社に属する偉い人の許可が必要だったんだ。つーか、めっちゃ複雑で、その地元の建設会社から爪弾きにされた偉い人がいて、その人は別の建設会社の偉い立場に収まっていた。で、その別の建設会社の偉い人から、俺らが所属していた寮の管理人達は、会社設立の許可を受けた。で、それが地元の建設会社にとっては寝耳に水だったと。なぜなら、寮の管理人達もまた、作業員として、その地元の建設会社で働いていたから。っつー構図です。まあ、理解出来ないのも無理はない。

 

 で、なんか、地元の建設会社にはこれ以上人員は増やさねーぞ!と、爪弾きにされた偉い人は言ったと。そういう権限がその人にあるから。なので、立場が完全に逆転したと。で、その偉い人に取り入っていたのが、俺らの会社の作業員として働いていたあいつらだったんか!っつーことで、地元の建設会社の人達は、けっこう怒り心頭だったようだ。

 

 だって、今まで、自分達の下で働いていた奴等が、いきなり会社設立して、自分達の地域のライバルになるのだから。そういう計画を、自分達の会社で働きつつ、あの偉い人と共に進めていたのだから。寝耳に水ですね。まあ、俺には関係ないけど。まあ、戦国時代の謀反みたいな感じですかね。

 で、俺も含めて、つまり作業員連中も含めて、その地元の建設会社の社長とか社員数名と、俺が所属する寮の管理人達、つまり新会社を設立する連中で、その地元の建設会社の狭い会議室みたいな場所に集まって、なんか、雰囲気こそやんわりとしていたが、冷静になりつつも、まあ、非難し合っていました。「まさかあなた達が、そんなことを企んでいたなんてね~、全くこっちは知らなかったよ」みたいな感じで。

 

 まあ、寮の管理人達の方も、儲けたいので、あと我が強い人達なので、しっかりと自分の主張をしたけどな。で、なんか、新会社設立になった。つーか、地元の建設会社には、最早、その行動を止める権限は無かったからな。

 

 で、俺に対して、「どうする?」と訊かれました。つまり、新会社に移って作業員するのか?或いは地元の建設会社の作業員のままでいるのか?まあ、その場合、もう今まで住んでいた寮は廃棄になるのが決定済みだったので、地元の建設会社の寮に移る必要がありました。でも、なんか、もう、超面倒だ、そんなに稼げねーし、と思って、いや、地元に帰りますと、言いました。

 

 だって、新会社設立するにあたり、他の場所に、けっこう豪華な寮を借りると言っていたし、俺が出ていくまでに、既にかなり大きな寮を複数個所、借りていました。その内の一か所を見せてもらえたけどさ。けっこう立派なマンションでした。ここでバーベキューも出来るぞ!とか、屋上というんですか、外のバルコニーというんですか、そんな場所で、はしゃいでいましたが。つーか、まだ船出さえもしていない段階で、そんな、最初から大風呂敷広げて大丈夫なのか?と思いました。

 

 まあ、既にネットで募集して、全国から作業員を採用していました。まあ、履歴書を見て、良さそうなら採用!みたいな感じで。そんな厳密じゃない。だって、期限が迫っていたのに、まだ作業員が十分に集まっていなかったから。殆どの人とは直接会わずに、電話のみで採用していました。なので、まあ、その後のことは知りませんが、多分、また私が経験したのと同様の、DQNがけっこう含まれた人選だったと思います。

 で、俺も含めた数名の作業員が真面目に働いてくれたお陰で、あの権力者に認められて、俺らの新会社の設立が許可されたのだからと、俺に感謝してくれて、帰りの俺の神奈川までの切符代を奢ってくれました。まあ、ちゃんと寮費も清算して帰宅しました。

 

 つーか、マジで寮費を支払わずにバックレた人もいたからね。でも、その人、自分が働いた分の給与を地元の建設会社から受け取る前だったのだ。なので、自分の給与を受け取りに行くと、寮費を支払わされるので、マジで困ったらしい。まあ、自業自得ですが。つーか、辞めたいなら普通に辞めれば良かったのに。普通に辞めさせてくれたのに。まあ、そいつの理想は、寮費を支払わずに、それで最後の給料も受け取れば、寮費分は浮かせられると考えたのだろうなあ。でも、そうは問屋が卸しませんでした。

 

 まあ、そんな感じで、私の福島県での除染作業は終わりました。寮はいわき市の外れにあり、作業現場は楢葉町でした。いずれも福島県内です。まあ、いわき市から集合場所の楢葉町までは、車で一時間位だったかな。45分位だったかな。忘れた。まあ、寮の管理人達が運転するミニバンで通勤していました。

 

 まあ、いわき市も、楢葉町も、放射線量は少ない地域です。いわき市は普通にみんな住んでいるしな。で、8年以上経過した今でも、別に体はどこも何ともありません。だから、放射能、放射能って、みんな騒ぎ過ぎだよな。つーか、タバコとかポテチとか加工肉とか体に悪いものはバクバク体に入れているくせにな。

 

 で、肝心の除染の仕事内容ですが、最初の一週間位は、森の中で葉っぱを搔き集めて処分したり、山の斜面で熊手を使って下に葉っぱを落としたりしました。あと、なんか重たい石の運搬とか。

 

 でも、なんか直ぐに住宅街の除染の仕事に回された。で、そこでは、住宅の石垣に向かって高圧洗浄機で洗浄したり、あと庭の表面の砂とか土とか落ち葉とか処分したりですね。そんな感じです。あとは水が沢山入った給水車っていうのか、あれを運転して、給水所まで行き、タンクに水を沢山入れて戻ってきたりした。よくもまあ、中型とはいえ、あんなでっかい車を自分が運転したなあ、と思いました。まあ、田舎だし、人も殆どいなかったので、事故の危険性も極端に少なかったからな。


 

 それを数か月続けました。疲れました。だって、週に六日だったから。まあ、何とかこなせました。

 

 つーか、それよりも驚いたことが、たったの数か月の間に、二人死亡したことだ。まあ、俺の地区は数百名かな、それ以上かな、とにかく、800人位いたのかな?忘れたけど。どこまでがどの地区かなんて知らないが。とにかく、二名、私が除染作業中に死亡しました。

 

 別に私が死神という訳ではない。だって、私が作業していた現場の近くで死亡事故が発生した訳ではなく、遠く離れた場所で死んだからな。一人は五十代の男性で、大きな布張りの建物の中で、複数の重機が頻繁に行き来しており、そのキャタピラに太ももを潰されて出血多量で死んだらしい。その現場は目撃した訳ではないが、その大きな建物自体は離れた場所から見た。まあ、どでかい布張りの建物ですよ。まあ、その後、監視役が配置されましたが、意味ねーと思うよ。だって、危ない場面を見てから、なんか警告を出すらしいが、ハッキリ言って、無理だろ。時を止めない限りは間に合いませんから。

 

 まあ、その人を乗せたドクターヘリが飛んでいくのが見えたけど、まあ、当然、間に合うはずもなく、失血死しました。次に死亡したのが、当時の私と同い年位の男性でした。つまり31歳位ですね。

 

 全然知り合いでも何でもありません。遠く離れた現場で作業していた人らしいから。で、坂道で、除染の仕事をしていたトラック運転手が停めたと。で、後方で三人の除染作業員がいましたと。で、なんかトラックが下がって来て、二名は避けられたけど、その人だけ、壁とトラックの後方に挟まれて死んだらしい。

 

 あっけないですね。つーか、私がもしもその場にいたとしたら、私が死んでいただろう。だって、そんな、咄嗟に判断して避けられる程、瞬間判断力も運動神経も良くはないからな。だから、命は簡単に失われるのです。

 

 まあ、それで、一日作業は休みで、全作業員が楢葉町の野球場に集まって、そこで、死亡事故が起きたことで、注意喚起の集会が開かれました。まあ、その日一日分の日当はちゃんと支払われたけど。反省会みたいなものですね。

 

 まあ、そんな感じでした。それで、私の福島県での除染の仕事は終わりました。まあ、福島県で寮の管理人にパチンコを教えられて、それからというもの、数年間、パチンコにハマってしまった話とかあるけれど、それはここで話す内容ではない。ここではあくまでも仕事についての話だからな。なので、その話とかは、別のところで詳しく話します。

 

 つーことで、除染の話はこれで終わりです。