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齋藤健一の人生応援ブログ💙

神に頼るは役に立つ

 さて、皆さんは、普段の生活で、そして人生全般で、[神様]を強く意識しているでしょうか?

 

 私は、強く意識しています。なぜなら、この世も、死後の世界【霊界】も含めて、全て神の摂理が支配しているからです。

 

 まあ、こんなことを言えば、ガチの無神論者の人からすれば、私は、「頭のおかしな奴」と言われるでしょう。しかし、カルト宗教の信者みたいに捉えないで頂きたい。

 

 神様は、います。いますが、見えません。この世は神の摂理が支配していますが、その摂理の働きは、見えません。見えませんが、神様はいらっしゃるのです。

 

 例えば、ボールを落とせば、地面に落ちます。それは地球の重力の作用の結果です。でも、その作用は見えません。でも、そのようになります。勿論、無重力状態でボールを離しても、地面には落ちません。そこら辺をフワフワと漂うのでしょう。それも作用の結果です。

 

 みんな、自力でコントロールできない事態が起きると、しきりに【偶然の結果】だと思うでしょう。例えば、ビルの脇の歩道を歩いていたら、上からハンマーが落ちてきたとしたら?それは果たして、偶然なのでしょうか?でも、その日、その時刻、そこの場所を歩いていなければ、けっしてハンマーが頭上に落ちて来るという不運には遭遇しなかったのです。

 

 でも、その人は、その事態に遭遇した。それは果たして、たまたまなのでしょうか?偶然でしょうか?

 

 否。違います。それは必然です。そのような【人生を左右するような重大な出来事】において、【偶然】なとあり得ません。全て必然です。

 

 その人には、頭上にハンマーが落下してくるという因果があったからです。どういう因果か知りません。私は神様ではないので、知りません。しかし、何らかの因果があったのです。それは確実です。

 

 私はアラン・カルデックという、1800年代に活躍したフランス人の審神者(さにわ)の書いた本を読みました。審神者とは、霊媒(体に他人の霊を憑依させて話させる人)に憑依した様々な霊と対話して、その話が真実かどうか見極める力のある人です。まあ、で、その本の中で、工場勤務者だった霊が、工場内で、熱したニスを体中に浴びて、顔や体の皮膚が焼け爛れて、苦しみながら死んでいったという話を読みました。

 

 それは不運だと思うでしょう。でも、それも必然でした。なぜなら、その人は過去世、つまり前世とか前前世において、ある人生において、異端審問官でした。で、罪もない13歳の少女を生きたまま焼き殺す命令を発したことがあったのでした。で、今回の人生にて、その因果が回って来て、そのような目に遭ったのでした。

 

 う~ん、だから、日本国内や世界のニュースにて、酷い目に遭った人のニュースを目にしたり耳にしますよね。でも、それも全て因果なのです。だから、メキシコのカルテルの皆さんが酷いことばかりしていることや、日本国内の半グレとかヤクザが酷いことをしているのも、全ては、そいつらの魂に、いつかは返って来るのです。だから、悪事は全然得ではないのです。だって、自分が相手に与えた苦痛の分が、全てそっくり返って来るのですから。しかもいつ返って来るか全く予測不能なのだから。

 

 だから、今、北朝鮮にて、金正恩がやりたい放題して、気に入らない人達を処刑しまくったり強制収容所送りにしたりしてますよね。金正恩が大宴会を開くというので、その宴会で提供する食糧をとある地方から強奪したせいで、その地方の住民が一万人も餓死したというニュースを聞くと、マジであいつ馬鹿だな、と思うのです。だって、金正恩一味がやったその悪事は、全て将来的に、自分らに返って来るのだから。

 

 まあ、金正恩の父親の金正日は、生前、やりたい放題していましたが、今はもう死亡して、あの世在住です。んで、あの世ではもう、生前の権力なんて微塵もない。素っ裸の金正日の魂のみです。だから、今、物凄く、金正日の魂は苦しんでいるでしょう。まあ、霊体の金正日という意味ですね。もう、誰も従ってくれない、誰も服従しない、誰も命令を聞かない・・・暗い世界で、金正日は、今、とっても苦しんでいると思いますよ。

 

 私も、心の中は清さ100%なんかでは、とてもじゃないが、そんな清浄な状態ではない。邪悪な心の内も沢山あります。「マジでぶっ〇す!あ~、〇して~!」とかいう悪事を妄想することもあります。でも、結局、今迄の人生で、悪事は万引き一件さえしたことがありません。それは結局、神を意識しているからでした。そう、意識的にも、無意識的にも。

 

 とにかく、私は、毎月一回は、近所の神社に参拝しているのです。で、今、39歳でアルバイトで、日当7700円なのですが、最近は、その一日分の日当に相当する額をATM脇に置いてある金を入れる封筒に入れて、中に重りとしての硬貨もたっぷり入れて、賽銭箱に入れています。そうしないと、賽銭箱の途中の斜面で引っかかってしまい、奥まで落ちずに途中で止まってしまうから。

 

 まあ、だから、普段の生活の中で、いや、人生において常に、神様は強く意識しているのです。だって、私は総資産額なんて、5万円もありません。預貯金は8万円位だと思いますが、それらのほぼ全ては、独自ドメイン費用の引き落としの為の預金とかなので、必要経費なのです。だから、自由に使えるお金という意味では、今、たったの7000円位ですかね。それ以外は、全て[使っちゃいけない金]なので、手を付けられませんから。

 

 そんな状況なのにも関わらず、毎月、きっちり、一日の日当分は神に奉納しているのです。で、その神社に行くと、歓迎のサインをほぼ毎回見せて頂けます。トカゲを目撃したり、蝶々を見たり、丁度その時に祈祷が始まるところだったり。それらは全て神様の歓迎のサインですから。

 

 で、けっこう神様に助けられていると思う場面が、人生の中でちらほらあります。この前も、鎌倉の鶴岡八幡宮に行き、普段全く行かない道で、しかも一方通行で、しかも超狭い道路ばかりなのです。海岸から鶴岡八幡宮に向かう方の道の途中にあるコインパーキングに停めた後、出て、鶴岡八幡宮の前の道を右折して、どうにか海岸に戻ろうとしました。でも、なんか、行けませんでした。ナビの指示通りに行こうとしましたが、なんか、その道はめっちゃ混んでいたので、断念して、そのまま進んでいきました。そうしたら、どんどん海岸から遠ざかっていきました。

 

 それで、めっちゃ細い路地に入ってしまいました。で、やっちゃいけなかったことなのですが、左側にある民間の駐車場に一旦入って、それでUターンして、元来た道に戻ろうとして、左右を確認して、ゆっくりと戻りました。で、その少し先が横断歩道になっていました。で、まあ、横断歩道上には誰もおらず、その脇にもいませんでした。でも、私は超ゆったりと進めました。でも、そのちょっと先で、マジで小学生が、右側から横断歩道に向かってきていて、マジでビビりました。

 

 まあ、何を言っているか不明だと思いますが。でも、要するに、マジでタイミングが少しずれていたとしたら、その小学生と俺の運転する車が激突していたかもしれない、ということです。勿論、めっちゃ徐行で進んだので、ぶつからないと思いますよ。でも、俺が横断歩道を通過した後、ルームミラーで後方を確認したら、その小学生が横断歩道を渡っていたんですよ。で、なんか、反対側にいた子連れの保護者だか友達の母親だか知りませんが、その人に向かって、まだ横断歩道の反対側なのにも関わらず、お互いに手を振りつつ、ガキが横断歩道を横断していたんですよ。その大人の方だけしか見ていない状態で、道路を横断していたんですよ。車が来るかもしれないのに、左右は一切見ずに。

 

 つーか、分かるかな?マジで、なんか、狭い道路を挟んで、その大人も、子供も、相手のことしか見てないけど、あんたら今、左右から車が来る場所を挟んで手を振り合っているんだけどなあ。ちゃんと左右を見ているのかなあ?で、子供が、その反対側にいる大人の方しか見ずに、手を振りながら横断歩道を渡っているんですよ。普通、危険な箇所なのだから、左右を見つつ渡れや!と思うけど、その小学生はそんなことお構いなしなんですよ。「横断歩道上だから俺が優先や!」とか思っているガキなのかもしれないが、マジで危険だから。相手とニコニコし合うのは、反対側に渡って合流してからにしてくれないかな、マジで。

 

 つー風に、マジでビビりました。俺は、殺人鬼に殺されることは、実はそんなに怖くはない。だって、殺すということは、正当防衛以外の理由では、そいつが悪事を犯すだけなのだから。なので、仮に俺が殺されたとしても、俺は完全なる被害者なのだから、俺が死後に罰を受けることもない。来世で罰を受けることもないからな。

 

 でも、俺が最も恐れているのは、俺自身が罰を受けることだ。自分が悪人とされてしまうことだ。故に、前述の場面であっても、ガキが横断歩道を渡るタイミングが少しズレていて、もしも俺が横断歩道上で、そのガキに少しでも接触しようものなら、めっちゃ大事になるに決まっているんですよ。たとえそのガキがかすり傷しか負っていなくとも、又、かすり傷さえなくとも、警察官も、保護者も、学校関係者も、俺を大量殺人鬼であるかの如く冷徹な目で見て、極悪人に接するような態度で接するに決まっているんですよ。だって、車を運転中の39歳の大人と、小学生だったら、絶対に俺が悪者にされちゃうじゃん。100%俺が悪人になっちゃうじゃん。世の中、そういうものじゃん。

 

 だから、少しのズレで、俺は悪人になることから免れた。それは神様のお陰なのです。【偶然】で片付けられることではないのです。

 

 【偶然】なるものは存在しません。あるのは、【偶然】に見える【必然】のみです。だから、私は、神様に頼ります。だって、少しのズレでさえ、俺自身の力では、どうしようもないのだから。