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齋藤健一の人生応援ブログ💙

腕のありがたさ③

 まあ、流石に、両腕が無い状態での食事は、今の私には無理です。つーか、一生、多分、無理です。生まれた段階から両腕が無い人ならば、足の指で器用に食事をする方法を会得しているかもしれない。しかし、私には無理です。だから、片腕のみでの食事となりました。

 

 とにかく、腕は、食事という、人間にとってごく基本的な動作における、最重要器官と言えます。とにかく腕が無いと、食事が途端に難しくなる。

 

 私はすき屋とか松屋とか吉野家に入店しても、いつも一応メニュー表は見ますが、結局、牛丼を注文してしまいます。それは、ハンバーグ定食とか注文しちゃうと、紅ショウガを食べられなくなるからです。

 

 で、紅ショウガは蓋つきの箱に入っています。なので、器用に両手を使い、左手で箱を支え、右手で蓋を開け、それでトングで紅ショウガを掴んで牛丼にかけねばなりません。まあ、細かな動作の違いは一々記憶していません。それくらい、ごく自然に、[紅ショウガを取る]という動作を、毎回、特に意識することなくこなせているからです。

 

 でも、もしもこれが、片手、片腕しかなければ、途端に困難なミッションとなります。いや、周囲の目もあるので、もう、いくら紅ショウガが好きでも、ジロジロ見られるのが嫌で、紅ショウガを取るのを止めてしまうかもしれません。

 

 だから、強靭な精神力の男性や女性以外は、もしも腕が片手でもなくなると、性格が委縮してしまうかもしれない。

 

 今迄当たり前にこなせていた動作が出来なくなるということは、それはつまり、最初の頃は[恥ずかしい]と思ってしまうものなのだろう。丁度、高齢ドライバーが、もうまともに車を運転する能力は無くなっているのに、いつまでも運転免許を手放さずに自分自身で車の運転を続けて、最終的に死亡事故を起こすようなものだろう。

 

 現実を受け止められないかもしれない。だが、それはまさしく【現実】なのだ。

 

 だから、貴重な腕は、絶対に失うな!極力、危険な行動はするな!もしも危険な行動をするのなら、腕や脚を喪失しても、誰にも文句を言うなよ。それは覚悟の上での行動だった、ということなのだろうからな。