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齋藤健一の人生応援ブログ💙

私の仕事歴①

 さて、私が最初にした仕事は、ああ、あれかなぁ。私は中学生の時も、高校生の時も、バイトは一切したことがなかった。それは、別のところでも書いたが、私の中学生及び高校生時代は、暗黒期で、とてもじゃないが、金を稼ぐ仕事なんて出来る筈もなかったからだ。まあ、それに加えて、引っ込み思案だったから、そして特に金には困っていなかったという理由からである。

 

 故に、私の初めての家族以外から報酬を貰って行う労働というのは、岐阜県の林業短期大学校に進学してからであった。まあ、進学と記載しましたが、実態は、みんな学生は、だらけているような学校でした。まあ、学校っつっても、二年制で、一学年の学生数は15人もいなかったよな。つーか、単なる地元のDQN共の溜まり場みたいな感じでした。意味ねーなー。

 

 で、その学校に在学中に、とある電器屋のチラシ配りのバイトをした。報酬額は忘れました。まあ、指定された地域の郵便ポストにチラシを入れていくという仕事でした。

 

 それを一日か数日やったのかな。忘れたけど。それで終了です。特に岐阜県にて何か長期のバイトをするということもなかった。

 

 で、卒業後、今度はとある市にある、木材の加工工場に勤めました。その林業大学校の求人の掲示板に貼ってあったから。つーか、もともと林業の学校なんて、本音では行きたくはなかったからなあ。アホみたい。まあ、詳しくは俺の人生記録を読んでくれ。

 

 

jisatsudame.com

 

 

 んで、わざわざ二年間も、別にやりたくねー学業、つーか別にみんな遊んでいただけみたいな感じの授業の為に費やした。費用も、そして現地でアパートを借りて、そこの滞在費も。まあ、マジでやり直せるなら、まあ、過去に戻って、ちょっとだけやり直した方がいいかなあ~とも、ちと思うけど、やっぱり若い時期の運勢は、俺はからっきしダメなので、やっぱ戻りたくはないです。

 

 んで、とある木材加工工場に勤めたけどね、一年一か月で辞めました。心を病んだというか。まあ、まず、仕事内容だが、フォークリフト作業と、木材製品の製造業務です。出勤日は、平日は勿論出勤で、更に一月の半分の土曜日は出勤でした。なので、月の休みは少ない。つーか、俺の部署だけ仕事が溜まっていたので、更に休日出勤したかもしれない。

 

 で、とある新品と中古の商品をフォークリフトで高く積み上げる作業をしてたが、場所がめっちゃ狭くて、しかもフォークリフトがめっちゃ古くて、操作感がギシギシと、まるで錆びついた操縦桿を握っているみたいな感じで、操縦が上手くいかず、頻繁に崩してしまっていた。

 

 つーか、実際にフォークリフトのシフトレバーが、何度も何度もポキッと折れました。で、その度に修理業者を呼んでいた。つーか、比較的新しいフォークリフトは上司が使って、俺は古びて錆びついた年代物のフォークリフトを使わされていたので、そうなりました。フォークリフトを使用したことのある人なら理解できると思うが、フォークリフトは、微妙な微調整がキモなのに、俺の乗っていた年代物のフォークリフトは、微調整どころか、常にガクガクと大雑把にしか動かせなかった。なので、マジで誰が使用しても無理です。俺の上司がたまに年代物のフォークリフトを使用しても苦戦していたしな。

 

 で、木材の商品の修理業務と新品の木材製品の製造業務でした。まあ、製造といっても、トヨタの自動車工場みたいに、自動的に流れて来るような最新式のものは想像しないでくれ。ただ単に、横に材料を置いたパレットがあり、そこから手で材料を作業台に持っていき、そこで引き金を引いたら自動で釘が発射される銃みたいな道具ありますよね、あれで釘をバシバシと刺して組み立てていくという形式の製造ラインです。だから、ほぼ手作業です。まあ、ごく一部、なんか機械式のラインがあったような気がしますが、その機械は、たしか殆ど稼働していなかった筈。たまに稼働させても頻繁に故障して停止したからな。

 

 ほぼ全て、手作業で製造していました。修理作業も手作業です。それで、出来上がったら、作業台の横にどんどん積み上げていき、ある程度の高さまで積みあがったら、それをフォークリフトで移動させて、それぞれの場所に置いていくという仕事内容でした。でも、私は頻繁にその、高く積み上げられた商品を倒してしまっていました。

 

 つーか、しょうがないじゃん。だって、その高さたるや、マジでフォークリフトの爪を思いっきり最上段まで上げた状態で積み上げられるギリギリの高さまで積み上げているんだから。今から思えば、あれはマジで、なんか、遊びで崩れないようにどんどん高く積み上げていく遊びありますよね?あんな感じです。マジでグラグラと不安定で、アホみたいでした。もっとスペースがあれば低く分散して積めるのだが、マジでどこも狭くて、そんなスペースは無かった。まあ、それは経営者の方の問題ですね。現場の作業員がどうこうすべき問題ではありません。

 

 で、その時の上司は、マジでサラ金で借金塗れで、離婚もしているし、常にイライラしているし、凄い怖いし、低賃金だし、求人票に記載のボーナスとか全部嘘だし、マジで俺は元々神奈川県民なのに、なんで岐阜県まで来て、別にやりたくもねーこんな仕事しているんだ?つーことで、どんどん気が病んでいきました。

 

 つーか、同時に、最初はその会社の寮に住んでいたのだが、寮母さんと喧嘩になって出ていくことになりました。まあ、詳しいことは俺の人生記録を読んでくれ。ここはあくてまでも仕事に関する記述をするところだから。

 

 で、まあ、一年一か月後に退職しました。

 

 つーか、色々ありましたが、結局、今、振り返れば、[合わない]という一言に尽きます。無理っス。無理。適性が無い。適性が無いことをするのは辛い。しかも低給与だし。

 

 でも、誤解しないで頂きたいのは、ただ単にその仕事に適応している段階の、多少の嫌なことで、直ぐにその仕事を放り出すことはお薦めしない、ということです。それは違う。それはまだ経験が浅いからミスしている段階であって、もしかすると、その仕事が天職かもしれないから。そうではなく、もう根本的に合っていない分野の仕事のみ、辞めてもいいよ、と言っているのであります。何でもかんでも、少し嫌なことがあったら直ぐ退職するのは止めた方が良い。

 

 だから、結局、私は岐阜県に行くにあたり散々金を親に使わせて、その後、岐阜県に就職するも、アイフルっていうサラ金で百万円近い借金と、クレジットカードのキャッシングとショッピングのリボ払い地獄に陥り、しかも仕事でも怒られっぱなしで、マジで今振り返ると、本当に自殺しなかったのが奇跡ですね、という位の悲惨さでした。

 

 まあ、だからね、最初の方向付けが最重要なんですよ。最初に林業なんていう、元から、本音ではやりたくもない仕事の方面を目指した結果、これだけの惨劇に至った訳です。

 

 だから、今一度、自分の立ち位置、現状を把握し、使える手段も再確認し、進む方向を決めてください。

 

 まあ、当時の上司にめっちゃ怒られたけど、まあ、俺の適正が無かったというのも叱責される要因なのです。だからね、適性が無い方面に進むと、その会社の上司にとっても、その会社にとってもマイナスだし、本人にとっても成果が全然上がらずに叱責ばかりされるのでマイナスです。

 

 フォークリフト作業の他にも、その木材製品製造の仕事にも携わりました。が、みんな体力、腕力のある作業員ばかりで、それに対して私は体力、腕力もないので、ついていけませんでした。だって、二人一組で一緒のペースでこなす仕事なのです。で、相方の日系ブラジル人の人がどんどん仕上げていくのに、それについていくのがやっとで、いつもヘトヘトでした。マジで辛い。それでいて、給料は月収175000円位ですから。そこから色々と引かれます。ボーナスも三か月分とか求人票に記載されていたけど、結局、夏冬合計10万円ですからね。

 

 求人票なんて嘘つき放題ですよ。別に俺の働きが悪いから俺だけボーナス額が低いのではなく、他の年配の正社員達も同様ですからね。だから、最初からボーナス三か月分なんて支払える余力なんてある筈もなかったのだ。俺が正社員として入社した直後から業績が落ち始めたのではなく、もうその前から落ちていたらしいからな。

 

 まあ、やっぱ公務員の適正がある奴は、公務員最強だと思いますね。規定の給与・ボーナス・福利厚生がしっかり支払われるしな。まあ、でも、現役の警察官でも自殺する奴もいるし、まあ、やっぱりその方面の適正がないと無理だと思います。そいつも、警官の仕事がキツいなら退職すりゃーいいのに。なにも自死することないのに。はあ。命が勿体ない。

 

 マジで球蹴りしている奴等が年俸2億円とか、マジで狂ってると思うよ。何それ?資本主義って糞だな、と思いました。はあ。